okyom2's diary

シンプルな生活スタイルや忙しさに負けない身体メンテをストイックに追求しつつ、人生たのしんでいます。東京・中央区日本橋エリアに主に出没。屈折気味なのが玉にキズ(笑)

親に似てくる

悲しいかな、最近、両親に似てきてしまったことに気がついた。

帰宅するとまずはぐい呑みでちびちびと晩酌しつつネット閲覧。
日が暮れると真っ先にホット焼酎飲みつつテレビをボーっと観る父親と変わらない。
何が楽しいんだと思っていたが、人のことは全然言えない。

一人暮らしにすっかり慣れ(その期間の方がずっと長いのだが)、
料理がズボラになり、暖房費をケチるため家の中では半纏ならぬガウンを着込む。
寝るのが楽しいと、休みの日は長寝する。
ガサツで野暮ったいと嫌っていた母親そのものである。

それぞれ辛うじて似ないで済んでることは、
とりあえず誰かに精神的、物理的に依存せず、
なんとか一人で健康に暮らしていることだ。

しかし気を抜くと、すぐに両親の残念なところに似始める。
人との関わり方、物事の決定の仕方や癖、偏屈さなど。
本当に残念である。時折ふと、よぎる。
私の人生、両親の残念な生き方をリピートしているんじゃないか?
と嫌な焦りを感じる。

私だけでなくどうやら、あねいもうと達もそう感じているようだ。
父親のような男とだけは結婚すまい、と心に誓ったにかかわらず
実に父親にそっくりな言動をする夫、、のような。

父親のような、斜陽の中に生きるような冴えない人生を
わざわざ選んでしまっているのではないか。
母親のように、ただただ我慢することしか
選択肢がない思考回路に陥っていないか。

 

こういうのは誰にでもあると思うので書くのだが、
自分の中に、両親への怨み、のような感情を強く持っている。
人にそのまま言うには、はばかれれる言葉であるが、
実際今だ、特に父親には早く死んでしまえと思う時がある。
家族に迷惑ばかりかけてきた情けない父。
(他人様にどうだったかはよく知らない)
おじいちゃんの自慢話ばかりで自分の実績がほとんど無い怠け者の父。

自分が大人になったからこそ、父は本当に怠け者だったのだとよく判った。
私の周りには、家族の為頑張る父親をやっている男性がたくさんいるからだ。


しかし、それを直視することは大切なことのはずだ。
私は、この残念な父親と母親から生まれて来たからだ。
スタートの場所がわからなかったらゴールがどこかわからない。

また、これほどまでにネバネバした怨みつらみの感情を

持てる相手というものそうはいない。

肉親だからこその憎い感情なのだろうと思う。
逆にいえば、親子である証であると思う。

大人になったのだから、心を広く持って許してあげて、
というのは、自分の行動や実績が親を超えてからの話だ。
達観するには、両親以上に自分が幸せだという結果と実感が必要だと思う。

父の仕事の宣伝活動をしてみたり、
父の作った陶器たちに囲まれて暮らしてみたり、
頻繁に里帰りして父母の顔を見に行き話相手になったり。
超える努力は多々やってみたがほぼ無駄だった。

甲斐があったといえば、やっと会話ができるようになったこと。
私が二十歳過ぎくらいまでは、話が通じない両親だった。
日本語が通じないレベルで意思疎通ができない。
両親の前で激怒したのも、30歳半ばになってようやくだ。
腹から湧いた怒りをぶつける、という感情のやりとりができたときには
何かから解放されて気分だった。

まずは自分が納得いくよう幸せになること。
幸せの形も千差万別であるので、他人の幸せの形を
うっかり自分のと勘違いしないようしなければ。

追いかけられるような気持ちで日々すごしているのは
このことがきっと一因であると思う。
生き急ぐわりに焦点合わないので余計に焦るのだと思う。
ほんとに残念である。

ともかく、父よ早く死んでしまえ、という
トグロ巻く気持ちを吐き出したいがために書いたんだと思う。
死んじゃったら、後悔の気持ちとか湧くだろうか。
私が大いに未熟とも思うが、そう思わせる父にも責任がある。

 
最近、両親に似てきた私は「死んでしまえ」の仲間ではないか。ますます残念である。そして私には残念さを負う責任がある。

人格疑われそうな内容と自覚しているが
このブログにたどり着く人も少なかろうと踏んで書いている。
わざわざここにきて読んでくれた人には申し訳ないが、
こちらから送りつけた記事ではないのでご勘弁である。

人のこころは自由でありますので。


直視するのも、スタートするのも、
人生の中盤となった今では既に遅すぎるのではないか?
とがっかりな結論に気がついてはいるけれど、
そいつと戦いつつ、今日も頑張る。