okyom2's diary

シンプルな生活スタイルや忙しさに負けない身体メンテをストイックに追求しつつ、人生たのしんでいます。東京・中央区日本橋エリアに主に出没。屈折気味なのが玉にキズ(笑)

嫌いなことが増えてきた

このごろようやく「嫌い」なことが増えてきた。

大変、喜ばしいことである。

 

人は歳をとると頑固になる、というから
歳をとった?老けた?という一面も否定しない。

一般的には、歳をとるほど嫌いなものがなくなり心が自由になるらしい。
(と聞いたことがある)そういう良く出来たヒトには関係無い話だと思う。
屈折気味の私にとっては大いに異なるポイントである。


嫌いがあるなら、対極に、好き、がある
好き、の裏側には、嫌い、が存在している

コインも表があって、裏があるので、
陰があるから陽があるので、
片方だけのモノってない。

お日様が照るから、日影があるわけで、
日影ないということは天気は曇り空。
晴れても雨でもない、あいまいな、中途な状態。

おだやかな曇り空も時には良いが
ずーっと曇り空は気が滅入る。

スカッと晴れた晴天が気持ち良い。
スッキリと明確な自分の好みや意思は持っていたい。


嫌いな人なんてあまり居ない、という人は
ちゃんと好きな人や事も無いはず。

「心が広い」という美徳とすり替わっていたと思う。
自分の意思や考えが曖昧な、他人主体な人。

ありがとう~、と連発するハヤリもあるけどほどほどにする。
口に出すほど、たいして感謝しちゃいないだろうと思う。

根底には自分可愛さ。
他人主体な状態なのに自分のことに固執。

自分に固執するわりに、自分と向き合い見ていない。
単に何かを怖がっているだけ。
自分や他人を見つめていない。

自分の好き嫌いもわからない、
他人の気持ちも表層しか捉えられない。

面倒な関わり、と思いがちなのは、そうだからか。
よくわからんことを頑張って共感するふりは疲れる。
めんどくさい~~、が口癖なのはそういうことか。
自我が薄いと無気力にとても苦しむ。


好き嫌い、気持ち・考え、意思 が
ようやく持てるようになってきたのだ、きっと。
嬉しいというより、ホッとした気分。


自覚してた以上に、
自分の興味の幅が狭かったり、
みんなが知っていることが欠落していたり、
理性・計算だけで物事やり遂げることが難しかったり
作ろうと思ってもマブダチがなかなか出来なかったり
それは、自ら閉じて拒否しているから出来ないわけだが、
(と、わかった)

それはそれでいいのだ。

何かに嫌悪する気持ちは本当に大事だ。
ヒトの好き嫌いの度合いが大きく、入口が狭くて構わない。
その感情を持つ自分をしっかり尊重しよう。
他人に自分の軸を奪われないようにしよう。
と思う。


「自分探し」と一緒にされそうだが
全く異なるものだと思う。
表層と根底の違いのレベル。

直視し続けるのは結構な苦しさが伴うので
外野が簡単にいわんといてー!というやつである。
(誰も言ってないか、、)


昔、ある人の言葉

「あなたは何が好きですか?
 そのことを良く知っていますか?
 それがあなたを動かす力です。」


だいぶ、入口に近づいて来れたかな?と思うこの頃。

麓に着いたか?
と言ったって、まだ山を登る以前のスタートラインマイナス地点だろう。
誠に残念ではあるが、そこまで辿り着いたのだ喜ばしいぞと自分を励ます。