夜の梅・浜町中の橋交差点
引き続き中の橋角の梅の木開花のようす。
好文木、今日もますます満開。
なんとなく仕事が遅くなってしまい、
会社を出てふと見上げると夜の梅。ライトアップされてブルーピンクに輝いている。
桃の木か?と思うほど全開で咲き乱れている。
最近、陽の力が強くなり温かいからかな。
好文画廊さんのお隣は燕慶園(えんけいえん)という小さな中華屋さん。(写真はWEBから借用)
私は食べたことが無いが上海蟹で有名?らしいお店。
ひっそりとあるけどいつもボチボチお客が入っている。
あの店ね、と知っている人も多い店。
お料理は量はそれほど多くないけど、しっかりした素朴なお味だっと思う。
異動の人のための送別会なのか、
おおいに盛り上がった紳士的雰囲気のおじさまたちが
店の外で大きな声で帰りのあいさつをしあっこしている。
そういう季節になったなと、こういう賑わいをみてあらためて実感する。
もう3月か。
1年のうち、12分の2は終わってしまいましたよ。
うかうかしているとまたすぐにクリスマスである。
今年は何ができるだろうか。
今年の桜の開花予想は3月26日とのこと。
近くの浜町公園は桜の木が多く、咲く様子はなかなか見事である。
かといってその季節、陣地どりで奔走するほどでもなく
気が向いて足を運べば場所も確保でき気軽に花見ができる場所。
実は隠れた花見の名所ではないかと思う。
さてさて、いつまでも引きこもっていないで
花見の計画でも練ろうかと思う。
梅満開~浜町・好文画廊
まだまだ寒いけど、少し冷たさがゆるんだこのごろ。
浜町中の橋交差点の好文画廊さんの梅が満開だ。
(2月27日)
ちょっと前に撮った3分咲きの写真。
(2月13日)
梅はゆっくり花ひらくのですね。
桜は一気に咲いてパッと散ってしまうから、咲き方も対照的な木なんだと思う。
まだ寒くても、ゆっくり咲いて、長く楽しめ、品もある素敵な木だな。
自分もこうでありたいものです。
梅の木が一本だけ植えられている好文画廊さん。
ムツカシそうな名前だな~としか思っていなかったが、能をやったおかげで意味判明。
梅の木のことを「好文木(こうぶんぼく)」と呼んでいる。
謡曲「東北(とうぼく)」の中のキリの部分で出てくる、シテとのやりとりの言葉。
春鶯囀(しゅんのうでん)という楽は。これ春の鶯。
鶯宿梅(おおしゅくばい)はいかにや。これ鶯のやどりなり。
好文木(こうぶんぼく)はさていかに。これ文を好む木なるべし。
※春鶯囀の囀(でん)はさえづる、という意味だそうな。
春の鶯がさえずる楽、、、言葉に萌えますな。
浮名を流した恋多き和泉式部がついの住処にした屋敷の目の前には梅の木があったそうな。和歌に長けた文才のある女性だったそうです。
文学(ぶんかく)さかんなれば。花の色もますます、匂い常よりみちみち。
梅風(ばいふう)四方に薫ずなる。
かぐわしい梅の香りが立ちのぼって来るようである。うっとりとした気分になる。(萌え)
そんな連想をしながらあらためて好文画廊さんと梅をみると、
なんだか違った風景に見えてくる。
菜の花とチャンジャの温麵
この前八百屋で買った菜の花を美味しく食べようと、いつもの温麵に乗っけてみる。
前回は山菜の女王「ウルイ」であったが、今日は菜の花ちゃんが主役である。
ひねりの効いた脇役として添えられるのは、真紅のチャンジャである。
事務所を借りてくれたお客様から頂いた試供品であるが、私にとってはちょっと珍しいおかず。
緑と赤と白と、納豆の茶色が映えてキレイだぜ。
トッピングとしてごま油をたらりと掛け風味UP。
そこになんとなくコンビニで買った日本酒「土佐鶴」の熱燗。
土佐鶴は冷やより熱燗の方が美味しい。
アルコール度が強いからか、そのままだと鼻につく辛さがあるからだ。
戻り、菜の花もおひたしで醤油辛くすると食べにくく苦手だけど、こうやってふんわり頂くほうが春っぽくていいなと思う。
頭の中がやかましい
特に、人とのコミュニケーションでやらかしてしまった後は、いつまでも頭の中がやかましい。
一本釣りの勝負に挑んで、相手との力量差がありすぎ逃した時など。
しっかり実力のある人は、一言ひとこと、受け答えも的確だ。
相手の話をちゃんと聞いて適切に処理された答えをソツなく返す。
力の足りない人は、相手の話を聞きかじり、自分の心の中にある思いを返す。つまり度合いに依るがとんちんかんなのである。そういう返答がたまになら見逃してくれても、数が増えると、ああこのひとは、と対等でない人間であることがバレテしまう。メッキがはがれるように、自分へ抱いていただろう魅力というかイメージは崩れてゆく。
そのことにその場で気づいてすぐ修正できればまだマシなのだが、大抵は後から気付く。
そのあとの相手の反応から推測し、記憶を反芻したなら、やらかしてしまったポイントの数々が思い当たる。その記憶の風景を思い出すたびに、記憶の中の自分をもう一人の自分が罵倒する。罵倒されると、記憶の中の自分というより、リアルに今ここに存在する自分がいたく傷つき、苦しい。
私の中に3人の自分がいて、ぐるぐる回るように、
やらかし→罵倒し→傷ついている
ついには心の悲鳴がうめき声となってリアル今ここの自分の口から発せられる。
大声で奇声をあげる頭のおかしい人が思い出される。
そういう人は、自責の念が強すぎて、耐えられなくなってついには気が狂ってしまったのだろうか、とも思う。私もこのままいくと、あの人たちの仲間入りしてしまうのだろうか。頭の中でやかましくひびく罵倒の声に、自分はいつまで耐えることができるだろうか。
生きてゆくのに、精神力って大事だなと思う。
もっと、心が強くないと。
千々に乱れる
頭の中を次から次へと過去の風景が湧きあがり、後悔や、自分へのダメ出しが連想のように溢れる時、本当に苦しい。
ああすればよかったとか、調子に乗った図々しい言動を恥じたり、つい、ああ本当に私は馬鹿だ、と口に出てしまう。心中、叱責を自分に向け、気がつくとうめき声を出している。
いくつになっても、ただ歳をとっただけだ。
もうちょっと、腹の決まった落ち着きのある人間になれないものか。
身のこなし、言動に重みのあるしっかりとした人になりたい。
そうでないからそのギャップにいつまでも苦しめられる。
人と仲良くなろうとするとき、一期一会というか一本釣りというか、やはり気合のようなものがいるのだと思う。
ありのままで、天真爛漫、楽しく過ごすだけではやはりダメだ。
自分がまずリラックスして楽しむからこそ相手にも伝わる、というのも本当なのだが、それは、そもそも土台のようなものだのだと思う。
その上の層に、こいつと仲良くなってやる、という狙いを定めた意思がいるはずだ。
狙いがあるから、つい浮き立ち胸に立ち昇るハイな気持ちを、腹にグッと押し込め、相手や状況を冷静にみてより良い振る舞いができるのだろうと思う。
ある意味、その場の「自分の楽しみ」を押し殺すことなのかもしれない。
その意思がなければ、ただ、舞いあがるハイな人と相手に映るだけのことで、年齢が若ければ、それもかわいらしいものだろうが、それなりの歳ならば、人格的に軽い、大した奴じゃない、と判断されても仕方がないかもしれない。
だから、未だ友達が少ないのだろう。
とひととおり反省したならば、次に行うは、
こんなダメダメな自分を許してやることしか無いと思う。
いつまでも心中、自分をなじり続けて良いことはやはり無い。
どんどん、自分への自信の無さが顔・表情に出て、
相手から見て「仲良くなりたくない顔」になるだけのことだから。
ミスをした、自分をなじる愚痴話を誰かに相談して慰めてもらったとしても
心のどこかで、単に表面的に慰めているだけでしょう?と
そのフォローを疑うはずだ。
相談された相手の労力を無駄にする失礼なことだし自分の時間も無駄なのだ。
よし!私が許してやる!
と自分こそが、世界中唯一、本気でフォローできる人間である。
そのために、千々に乱れる気持ちをおさめるため
まず出来る限り無心になる。
くよくよした状態の時って大抵身体が冷たいので、温かい風呂に浸かる。ストレッチして筋肉をほぐしてやる。精神はどうやら身体に支配されているらしく、気持ちもほぐれてゆく。
一番は背筋を伸ばし姿勢を正す。瞑想などして無心になれれば一番良いと思う。不思議と気持ちがフラットになる。
昔の人は、こういう心の嵐に対応するために、
瞑想を発見し「無心」で心を統治してきたのかと気がつく。
だいたいでも構わないので、無心になれ落ち着いたら、
きっぱり、こんな馬鹿な自分だけど許す。
許してやる、と自分に対して発言する。
そうやって、なんとか頑張って生きてゆくこととする。
そして、こんなお馬鹿な自分に時間を割いてくれた相手に素直に感謝の念を送っておく。
次はもうちょっと、うまく出来るようなれるといいんだけどね!
春の野菜で~ウルイ
帰りがけ、浜町駅すぐにある八百屋のプロデュースで
いつものように野菜の買出しに行くと、春らしい野菜が。
菜の花、うるい。
うるいってなんだ?
八百屋のお兄さん直筆のPOPには、山菜の女王、と書いてあったのでそれは買うべしと入手する。
ウルイ
正式名称は「ギボウシ」といい、漢字では「擬宝珠」と書く。
→擬宝珠ってなに?
なるほど、橋の欄干につけられた丸っこい飾りか
旬は4月~5月にかけてだが、栽培ものは2月から出まわる。
→ということはこちらは栽培物なんでしょうね。
おもな産地は、山形県、福島県、秋田県など。
山菜のなかではビタミンCが最も豊富で、皮ふや粘膜の健康を保つ。
→なるほど、だから山菜の”女王”なのね
そのほか、病気やストレスへの抵抗力を強め、鉄分の吸収を促すため、
貧血の防止にもつながる。さらに抗酸化作用もあるので、
老化や動脈硬化、心臓疾患の予防につながる。
(引用:若山博士監修 ためになる食材辞典 より)
→おお、すごく身体によさそうじゃないか~~~
で帰宅し、あったかいそうめんスープの具、
& アボガドの刺身つけあわせ(生)として戴く。
生だとシャキッとしてほんの~り山菜らしい苦いような香り。
熱を加えると、軽い弾力のあるぬめりが心地よい。
春なので、身体が苦いものを欲しがっているのかな。
美味しい。
東京マラソン2015~人形町・浜町
今日は東京マラソンだった。
2月22日、繋げると0222、ぞろ目揃いなパワフルそうな日。
お天気は曇り、朝降っていた小雨が止んで良かった。
いつもの新宿線浜町駅で降りると会社に辿り着かないので
(清住橋通りはマラソンのため横断できない)
半蔵門線で出社。すでに車いすのマラソンが始まっている。
来た来た!
速い!!!!
浜町中の橋交差点は既にギャラリーで取り囲まれている。
しばらくして普通の(といってもハイクラスの)ランナーさんきたる。
んん~~~~、
ビュン!!!!!
と風のようである。
続々とまじめなランナーさん走る走る。
あっという間に向こうに消えてゆく
こんな日にも来客はあり、案内もあり。物件室内から水天宮交差点を見下ろす。
交差点にたたずむかわゆい豆柴くんと目が合った。
柴犬くんからマラソン軍団はどう映っているだろうか。
ランナーさん向けバナナ配給所。一般の人は食べちゃダメなようだ。
早くも折り返しランナーさんたち。
マジメじゃない仮装ランナーさんたちも大勢走りゆく。
今年は14時半くらいには往路にはランナーさん居なかった。何かのトラックが走るということはそうだと思う。
去年は16時ごろまでボチボチ徒歩の人たちがコースにいて、終いにはランナー回収バスに連れられていったのに。今年のランナーさんたちは優秀なのかな?選りすぐりの人たちだったのか、それとも0222のパワフルデーのおかげか。